358TVのロードバイク話、第2話。
まず、僕から言いたいこと、
それは
これからたくさんの人達と、一緒にホイールを廻して行こうと考えている、ということ。
知っている知らないの2つの極点があるとして、自分の家の横の家の人達と多くの接点がある、という人は、今僕達の生きている世界には多くない。
そんな中、
ありがたいことにたまたま偶然が重なった。
いろんな制限があるこの世界だけど、自転車に跨って、走っている間は少なくとも自由だ。
自由。
自由というのは、制限と無制限を包含している。
ここでいう自由は
開放されている、という部分だ。
己の集中を色んな角度に向けられる。
好きに使って良い、フリーな集中力が手元に手に入る。
表現も自由だ。
それは例えば前を走る人に追いつくために
それは例えば走る横に生えている草花の美しさを見るために
それは例えば普段手元にない景色を手に入れるために
それは例えば自分と向き合うために
それは例えば習慣として
いろんな制限があるこの世界だけど、自転車に跨って、走っている間は少なくとも自由だ。
ほうら、
まずひとつ大きな理由が手に入った。
それは例えば走らないことを逆に始点として、大きく溜めて吐き出すために。
これが今の僕だ。
開放を待っている状態。
それもまた良し。結果論的に言うならば、全て良しなのだ。上向くことがあれば下向くこともあり、すべてを包含した上で人生は進んでゆく。
そこの一つのピースに自転車がたまたまあることに感謝すれば良い。
それで十分だ。
そして
次の理由、これも大切だ。